511回 (2014.9.13

杉  野  祥  一

 

はじめに

 大河の源流とは、上流へさらに上流へと遡り、山の中へ分け入り分け入り、最後に湧き水からの一筋の流れを探り当てることによって、初めて見つかるものだと思われます。その源流は恐らく一つではなく、たくさんあるのでしょう。仏教という大きな流れは、およそ2500年前に偉大な修行者であった釈尊(ゴータマ・ブッダ)によってインドで始まり、現在まで脈々と続いています。その仏教の源流はというと、古代インドのヴェーダ祭儀文化にまで遡らないといけませんし、その中で広まった輪廻思想、そしてウパニシャッドの哲学者たちの思索、非バラモン系の出家者・苦行者たちの活動に求めていかなくてはいけません。釈尊は、それらの思想運動から様々な影響を受けつつ、最終的にはそれらを否定的に湧き水からの一筋の流れを探り当てることによって、初めて見つかるものだと思われます。釈尊と輪廻思想の関係を考える上で、特に注目しなければならないと私が思っているのは、スッタニパータ第四章八詩頌章の第15経「棒を握ること」に見える次の経文です。

 

936 水の少なくなった所にいる魚のように、人々がもがき苦しみ、互いにぶつかり合っているのを見て、私に憂いが生じたのである。

937 この世界は、あらゆる方向に向かって突き動かされており、全く実質がない。・・・

938 ・・・私は、〔人々の〕心臓の奥底に突き刺さっていく一本の矢を、発見したのである。

939 その矢によって突き飛ばされて、人々はあらゆる方向に向かって輪廻している。この矢を引き抜きさえすれば、もはや輪廻することはないのである。

 

 読み方によっては、釈尊は輪廻を認めているようにも取れそうですが、注意深く読めば、釈尊がいかに輪廻の思いが人々を苦しめているかを憂い、輪廻という考えには実質がないことを見極め、人々が輪廻という考えを抱いた原因を突き止め、輪廻から抜け出す道を求めていたことが、わかってきます。今日は、釈尊に特に強く否定的な影響を与えたと思われる古代インドの輪廻思想がどのように起こってきたかということを見、その解決を模索したウパニシャッド哲学の重要と思われる文献をいくつか読んで、仏教の源流の一つを探る試みをしたいと思います。

 

1.インドの古代文化

 紀元前二千五百年頃から約千年間、インドには、インダス文明と呼ばれる高度な都市文明がありました。現在は南インドに住んでいるドラヴィタ系の肌の色の濃い人たちの先祖がその担い手であったと考えられています。そこに紀元前千五百年頃、アーリア人と呼ばれる民族が侵入してきます。アーリア人は、もともと黒海とカスピ海の間のコーカサス山脈北方地域に住んでいた民族ですが、ある時期に移住を開始して、一部は西へ向かいヨーロッパ人となり、他の一部はイラン地方を経て、インド西北部に侵入し、先住民の都市国家を滅ぼしながら、インダス川上流地域に定住しました。それ以来、インド文化の担い手はこのインド・アーリア人ということになります。

 

 インド・アーリア人は、牧畜を主としながら農耕もおこなう人たちで、各家庭に祭火をしつらえて、朝夕に献火する習慣をもっていたと伝えられます。彼らの生活や信仰を今に伝える最古の文献『リグ・ヴェーダ』(B.C.1500-1000)は、祭儀において祭官が神々を招くために唱える賛歌の集成で、これによれば、彼らの宗教が多神教で、基本的には自然崇拝であったことがわかります。神々とされているものの多くは、太陽、風、雨、雷等、自然現象そのものと、その背後にある力です。

 アーリア人たちは、神々と非常に近しい生活感覚をもっていて、ということは自然との一体感をもって生きていたということになるのだろうと思いますが、天体の運行や一年の廻り、日の出や日の入りといった循環する自然現象の中に神々の守護を見出し、感謝と祈りを捧げていました。

 

 インドの自然は、乾期と雨期の繰り返しですが、乾期が終わり雨期が始まろうとするときに一年が始まり、また乾期を迎えて一年が終わるという循環が、古代のインド人たちにとっては、神々の働きによって、秩序から無秩序へ、そしてまた秩序へと帰っていく、言いかえますと、一から多へ、そして一へという宇宙的循環というふうにとらえられていた、のではないかと思います。人間は、一年の始めに重要な祭りをおこない、美酒と供物を神々に捧げ、神々の力を増し、神々はそれを喜び、人間の願いをかなえる、と考えられていました。このような「ヴェーダ」に則って行われる神々に対する祈りの儀式を、ヴェーダ祭儀と呼びます。

 

 意外だと思われるかもしれませんが、この時期のインド人たちは、まだ輪廻の思想をもっていません。つまり、死後もまたこの世に生まれ変わって有限な生をくり返し、また死んで、また生まれて、という思想は見出せません。彼らが死んだ後どうなると考えていたかと言いますと、肉体は諸要素に分かれて自然界に帰り、霊体が残って天に登り、天の楽園で永遠の生命を得て、神々とともに安楽に暮らすと考えていたようです。その時代の雰囲気を今に伝える詩文を読んでみましょう。

 

「プルシャ(原人)の歌」(「リグ・ヴェーダ」10.90.

(プルシャとは、宇宙を創造し動かす存在で、しかもすべての生物にゆきわたる生命の火である。)

1.プルシャは、千の頭をもち、千の眼をもち、千の足をもつ。プルシャは、あまねくあらゆるところを照らしながら、十指の高さのところまで燃え上がった。

2.天上界では、プルシャは、不死のものたちをも自在に支配する。プルシャが食物を薪として燃え上がるとき、現在過去未来のあらゆるものが、プルシャそのものである。

3.ここ(地上界)にあるものの広さは、ここだけに過ぎないが、プルシャはそれをはるかに超えている。(地上の)あらゆるものは、プルシャの4分の1であり、天上の不死なるものは、プルシャの4分の3である。

4.プルシャは、その4分の3で上方へ昇って行き、その4分の1は、ここに生じてきた。ここから、プルシャは、あらゆる方向に向かって発展し、食べられるものと食べられないものが生じた。

5.そのプルシャから、混沌(ヴィラージュ)が生じ、この混沌からまた再びプルシャが生じる。プルシャが生じるとき、後方においても、前方においても、プルシャは混沌を超越している。

  中略

12.プルシャの口は、バラモン階級であり、両腕はクシャトリヤ階級、両腿はヴァイシャ階級であり、両足からはシュードラ階級が生じた。

13.プルシャの思考からは、月が生じた。眼からは、太陽が生じた。口からは、インドラ神とアグニ神が生じ、生気より風が生じた。

14.臍(へそ)から空界が生じ、頭から天界が現れた。両足から大地が生じ、耳からは方位が生じた。このようにして、神々は、諸々の世界を形成された。

 

2.輪廻思想の萌芽

 さて、発生当初には、強い創造力を持っ

ていたヴェーダ祭儀文化は、伝統化・因習化することによって、次第に本来のエネルギーを失い、この世界の秩序や活力を創造する力を失っていきます。カースト制度も固定化され複雑化していきますし、それとともにかつては身近な神々として経験された太陽や月なども、単なる客体と受け取られるようになります。そして、かつて生命そのもとして体験されたプルシャは、はるかに超越的な存在となって、なかなか体験できないものとなってしまいます。

 それによって、インドの人々のあいだに、大いなる永遠なるものへの帰入という死の意味に対する不信が増大し、死の不安や恐怖が広がり始め、それに伴って、火葬や祖霊祭といった死の儀礼が発達してくる、と解釈するインド学者がいます。ヴェーダの時代が終わり、ブラーフマナ文献の時代(BC.800年の前後数百年)になると、人々は、自分は「どこから」来て「どこへ」行くのかという問いに、答えを求めるようになります。これが、輪廻思想へと発展して

いったと考えられています。

 

「どこから」に関する最古の文献

 父祖たちが祭儀において献供した供物が、

空界へ上昇して、空界という火壇に献供されるとき、光の粒となる。次に、それが天界へ上昇して、天界という火壇に献供されるとき、月輪に蓄えられるソーマ神酒(或る種のトリップを誘発する植物の樹液を発酵させて造った酒、神々が飲む酒、月はその容器)となる。次に、それが大地に降って、大地という火壇に献供されるとき、植物となる。次に、それが男性に(食べられて)入って、男性という火壇に献供されるとき、食物となる。次に、それが女性に入って、女性という火壇に献供されるとき、精液になる。かくして、子供が生まれることになる。(シャタパタ・ブラーフマナ11.6.2.6-10

 

上の文献を承けての「どこへ」に関する最古の文献

 朝夕に祭火を献供し続けてきた祭主が、この世界から死んで火葬されるとき、最初に彼の生気が上昇して、神々に、これこれの善悪業をなしてきたことを報告する。次に、彼の身体が煙とともに上昇してくる。そこで、輝く日輪の門番である四季に、次のことを報告しなければならない。「四季殿よ、私が生まれた精液は、・・・光り輝くソーマ神酒が転化して、生じたものである。四季殿よ、あなたこそが、私を私の父親となる男性の内へと遣わしたのである。私の父親となる男性は、私を、私の母親の胎内へともたらした。かくして、私は、十二ヶ月で円還する日輪が、第十三番目の新しい日輪として、生じさせたものに他ならない。私は、このように、同じものという真理を知っている。・・・四季殿よ、このような私を、不死の世界へ連れて行くように」と。(ジャイミニーヤ・ブラーフマナ1.18

 

 上記の思想を経て、初期のウパニシャッドには、明らかな輪廻業思想の萌芽と見られる記述が現れます。

1)以上のような五種の火壇への献供によって自分の魂が生まれてきたことを知る人々と、森林にあって「そのような献供は苦行と同じである」と思惟して苦行する人々は、死んで火葬された後に、・・・神道を上昇して月輪に至り、月輪より稲妻に至る。そこには、死すべき人間ではないプルシャがいて、それらの人々をブラフマンへと合一させる。

 

2)次に、村落において祭儀を行ったり供養したりすることは徳積みであると考えて、功徳を積む人々は、死んで火葬された後に、・・・父祖の国を通って月輪に至る。そこでは、彼らの功徳がソーマ酒である。それを食べている間は神である。それが尽きるまでそこにとどまって、尽きれば、父祖の国の道を通って戻り、雨となって降り、地上の穀物や薬草や樹木や胡麻や豆になる。・・・男性がそれを食物として食べ、精液として運ばれるときにのみ、さらに再生することになる。美しい行為をなした人々は、バラモンや王族や一般人の美しい母胎に生まれることになるであろう。汚らわしい行為をなした人々は、犬とか豚とかチャンダーラとかの汚らわしい母胎に生まれることになるであろう。

 

3)さらに、ちっぽけな虫けらたちは、生まれたかと思うとすぐ死んでいって、何度もくり返し再生してくるので、二道のいずれを経るのでもない。これが、第三の場合である。(チャンドーギャ・ウパニシャッド5.10.1 - 5.10.8

 しかし、この段階では、輪廻業思想は未だ完成していません。

 

3.輪廻思想の完成

 ウパニシャッド哲学が次の段階に至ると、輪廻業思想が完成したことを示す記述が現れます。

〔アートマンについて〕

 アートマンは、感覚をはたらかせて認識したりする意識ともなるプルシャであり、心臓の奥底に潜む光明である。それは、同じ一つのものでありながら、二つの世界を行き来する。神々の世界においては、禅定にあって思惟しているし、この世界においては、遊戯している。睡眠中に夢を見ているとき、この輪廻の世界を超越していく。(ブリハッド−アーラニヤカ・ウパニシャド4.3,7

〔死について〕

 人間の身体が、老衰や病気でもうろうとし不明瞭になって死んでいくのは、あたかも、マンゴーやウドゥンバラやピッパラの果実が、熟して腐りかけて枝から落ちていくようなものである。こうして、このプルシャ(なるアートマン)は、四肢から去って、逆戻りして生気へと帰っていく。

 そのとき、様々な認識能力も、この生気へと集まってくる。そして、純粋な熱となった認識能力をもって、心臓へと下降していく。こうして、色形を身分けることができなくなる。そうして、もう目が見えない、匂いが分からない、味が分からない、耳が聞こえない、思考がはたらかない、触覚がない、識別能力がない、と言われることになる。

 この時、心臓の先端が閃光(せんこう)を発する。この閃光をつたって、アートマンは、眼から、あるいは頭頂から、あるいは身体のその他の部分から、出て行く。アートマンが去るとき、生気もともに去っていく。一切の感覚もともに去っていく。アートマンは、未来を求め想うはたらきによって、下降する。叡智と善悪業と過去の記憶が、伴っていく。

 あたかも虫が、葉の先端に達するとき、自分の身を小さく縮めるように、このプルシャもこの身体を捨てて、次の一歩を踏み出し、身を小さく縮める。

 そして、新しい身体を作り出すのである。      (同4.3.364.4.4

〔執着と業〕

 どこへでも、輪廻の微細な主体である自我意識が執着している限り、その執着するところへと、なしてきた善悪業に従って、輪廻転生して行く。

〔解脱〕

 欲望をもたないプルシャの場合は、欲望がなく、欲望から自由であり、アートマンのみを求める願望に充足していて、満足している。そのようなプルシャはブラフマンそのものであり、ブラフマンへと還帰している。(同4.4.64.4.7)

 

4.ウパニシャッド哲学の展開

 これまで、古代インドに登場したヴェー

ダ祭儀文化が、最初はコスモス(宇宙・秩序)創造の力をもっていたが、次第に固定化・形式化していき、ヴェーダ祭儀が死の儀礼と化していき、それに伴って、輪廻思想が広がり定着していったことを見てきました。このヴェーダ祭儀文化の堕落ともいうべき輪廻思想のはびこりに対して、それを超克すべく登場してくるのが、ウパニシャッドの哲人たちと呼ばれる革新的なバラモンです。

 彼らは、死の儀礼化した祭儀を問いただし、ヴェーダ祭儀文化の根源に生きていた根本真理を問い求め、この真理をこの身のままに体得するために、森林に入って瞑想の生活を送るようになります。

 初期のウパニシャッドの哲人たちは、世界の諸々の存在は「風」に帰一し、自分の存在は「生気」に帰一し、この「風」と「生気」とは同一である、と体得し始めます。彼らはここで、リグ・ヴェーダにおいて宇宙の本体とされたプルシャが、いまここなる自分の「生気」であり、これがアートマン(魂)に他ならない、というウパニシャッド哲学固有のマクロ世界とミクロ世界の同一という根本真理に到達したのです。

 彼らは、もはや真理の抜け殻でしかない村落共同体の伝統的祭儀と関わらず、森林に留まって瞑想し、秘密の同一の真理を思惟し、森林の中でひっそりと唯一の弟子に秘密の真理を伝授していきました。ここにおいて、森林に留まり乞食して修行し続ける修行者たちが出現します。

 ちなみに、ウパニシャッドというサンスクリット語の単語は、「ウパ」(〜の方へ)と「ニ」(下に)と「シャッド」(座る)という語によって合成された言葉で、尊敬・崇拝、秘密の教え、奥義書など、様々な解釈がありますが、このウパニシャッドという言葉が何を意味したのかは、正確なとこ

ろはよくわかっていないようです。

 

ウパニシャッドの哲人が語る宇宙創造の哲学

太初において、万物はいまだ未分化であっ

た。万物は(自らを)、名色(名と体)によって、かくかくの名はしかじかの体をもつ、というように、分化(個体化)していった。

アートマン(魂)は、爪の先に至るまで、名色(名と体)に貫入したが、あたかも、刀がさやに収まっているかのように、人々はアートマンを見ることができない。アートマンは常に部分的である。呼吸するときは、生気という名になり、色形を見るときは、眼という名になり、音声を聞くときは耳という名になり、思考するときは思考という名になる。これらの名は、アートマンの個々別々のはたらきによる名である。これらはすべて、アートマンであると思惟しなくてはならない。これらの名は、アートマンにおいて、一つになる。アートマンこそが、最も本来的な自己自身であると思惟しなければならない。BAU1.4.7-1.4.9

(後に仏教哲学の重要な用語となる「名色」という言葉の元になったと考えられる箇所です。)

ウパニシャッド哲学の完成を示す哲学思想

最高の学問は、不滅の聖音(オーン)を体得することである。

偉大なるウパニシャッドの弓を取り、思惟によって研ぎ澄まされた矢をつがえよ。思惟による集中によって、弓を引き絞り、不滅なるものの的を射抜くべし。

弓とは、聖音(オーン)であり、矢とは、アートマンであり、その的とは、ブラフマンである。

人は、ブラフマンの的を、心をゆるめずして射抜くべし。されば、矢が的に命中するように、ブラフマンと一体になれるのである。   MU2.2.3-2.2.4

日や月、空・風・火・水・地の諸元素も、ヴェーダ祭儀の諸要素も、人間の認識能力も、意も、生気も、すべて不滅の聖音オーンによって発声される最高のプルシャより創造される。そして、万物は、プルシャから創造され、そこへと帰滅していく。MU2.13

川が流れて大海に入っていくとき、個別の名と体を捨てるように、真知ある人々も、名のついた体から自由になって、最高なる神的プルシャへと合一していく。            ムンダカ・ウパニシャッドよりMU3.2.3

 

 ムンダカ・ウパニシャッドは、同時に発展しつつあった苦行者運動に強い影響を与え、ジャイナ教や仏教の哲学的前提となった思想です。